「死ぬまで生きる」ということ
石巻赤十字病院 院長・石橋悟先生との対話が教えてくれたこと
いつもご覧いただきありがとうございます、ケアリー代表の舩見です。
「あなたはどう思うの?」
⸺私が質問を投げかけると、先生はそう穏やかに返してくれました。

石巻赤十字病院にお邪魔して、石橋悟院長とお話をさせていただいたのです。
先生はとてもひょうひょうとしていて、気負いがまったくない方でした。でも、その言葉のひとつひとつに、なんだかすごく深いものがあって。お会いしてから、ずっと考え続けています。
01|「世界一強く、そして優しい病院」へ
石巻赤十字病院は、大正15年(1926年)に創立された、宮城県北東部の医療を支えてきた病院です。「世界一強く、そして優しい病院」⸺そんなスローガンを掲げていると聞いて、正直、どんな方がトップに立っているんだろうと、少しドキドキしていました。救急車の搬送件数は年間約6,400件にものぼる、東北でも有数の病院です。
そんな石橋悟院長と、お話しする機会をいただきました。「世界一強く、優しい」を掲げる病院の院長ってどんな方なんだろう。そんな気持ちを抱えながら、石巻へ向かいました。
そして、実は私が運営するナーシングホーム「ケアリー」も、同じように「世界一」を目指したいと思っています。「世界一、その人らしく生きられる場所」⸺先生のスローガンと出会って、改めてその思いが強くなりました。
02|旭川の大自然が育てた医師
先生は1967年、青森県八戸市のご出身。旭川医科大学で6年間を過ごし、1991年に医学部を卒業されました。北海道の広い大地で、雪深い冬と壮大な自然に囲まれた学生時代。その経験が、先生という人をつくったと、ご自身もおっしゃっています。
圧倒的な自然の前に立つと、人間ってほんとうに小さいな、ってわかる。その感覚が、生死に向き合う医師としての根っこにあるんだなと、お話を聞きながら感じました。謙虚で、でも好奇心にあふれている。そんな先生の人柄が、旭川での6年間に育まれたのだと思います。
旭川の大自然の中で、人間の実存の小ささを知った。それが私の原点にある。 ── 石橋悟院長(対談より)
03|3月11日⸺静まり返った病院と、美しい星
2011年3月11日。東日本大震災のとき、先生は石巻赤十字病院の救急部長として、現場の最前線にいらっしゃいました。石巻市内の116の医療機関のうち、高度救命救急に対応できたのは、この病院だけだったそうです。石巻圏20万人もの命が、この一点に集まった。
でも⸺先生がそっと教えてくださったことがあります。
震災当日、病院は対策本部を設置して、患者さんが来るのを待ち構えていたそうです。でも、その日は誰も来なかった。病院の中はしんと静まり返っていて。外に出ると、空には星がただ、美しく輝いていたそうです。
「今考えれば……病院に来ることができないくらいの惨劇だったんだろうな、と」
あの美しい星空の夜、沿岸では何が起きていたのか⸺その沈黙の重さを思うと、私は言葉が出なくなりました。翌日から、1日1,251人もの急患が運び込まれました。病院のロビーも廊下もリハビリ室も、全部が医療の現場に。全国から約120人の医師が駆けつけ、医療崩壊を食い止めました。
そんな日々について聞くと、先生はさらりとおっしゃいました。「ただ仕事をしただけです」と。
対策本部を設置して、待っていた。でも、誰も来なかった。外に出たら、星がただ、美しかった。 ── 石橋悟院長(対談より)
院長も私も、みんな役割をこなしただけ。その時はただ仕事をしただけ。今考えれば大変だったのかもしれないけれど。 ── 石橋悟院長(対談より)
私はどこかで、先生がその日々を「壮絶だった」と語ってくれるのを想像していたと思います。
でも先生は、そういう言葉を纏う様子がまったくなかった。それは冷たさじゃなくて、むしろ医療者としての誠実さなのだな、と感じました。その瞬間にすべきことをする。それだけ。
「あのような大災害を医療職として経験できたことは、誇りに思うべきだし、ラッキーだと思うべきことだ」⸺そんなこともおっしゃっていました。その言葉が、なんだかとても印象に残りました。
経験を重荷にするんじゃなくて、財産にしてしまう。そういう強さが先生にはあるんだと思います。
04|悔しさ⸺能登の倒壊した家屋を前に
2024年1月1日。能登半島地震が起きました。先生は、耐震補強がされていない建物が次々と倒れ、命が失われていく様子に、深い悔しさを感じたとおっしゃっていました。
「耐震補強さえしていれば、家は潰れなかった。命は助かったはずだ」⸺その言葉に、静かな、でも深い憤りがありました。
東日本大震災から13年経っても、まだ同じことが繰り返されている。その現実への、悔しさ。
人はそれぞれ、育ってきた環境も経験も違うから、防災への備えも、受け止め方も違う。だからこそ同じ失敗が繰り返されてしまう。先生はそれを責めるんじゃなくて、だからこそ伝え続けなければいけない、と思っているのだと感じました。著書『防災途上国日本』(2025年)には、そんな先生の思いが詰まっています。
05|石橋悟院長という方
石橋 悟(いしはし さとる)
・1967年 青森県八戸市生まれ
・1991年 旭川医科大学医学部 卒業
・1994年 東北大学医学部第二外科 入局
・2001年 石巻赤十字病院 小児外科部長
・2007年 石巻赤十字病院 救急部長兼医療技術部長
・2011年 石巻赤十字病院 救命救急センター長兼医療技術部長(震災対応)
・2014年 石巻赤十字病院 副院長
・2018年 石巻赤十字病院 院長(現職)
関連書籍
・『防災途上国日本』石橋悟 著(2025年)
・『東日本大震災の記録』石巻赤十字病院 編
・『石巻赤十字病院の100日間』由井りょう子 著/小学館(2011年)
・『東日本大震災 石巻災害医療の全記録』石井正 著/講談社(2012年)
06|私が考えたこと⸺石巻にナーシングホームを建てる者として
先生とお話しながら、私は何度も自分自身に問いかけていました。私は今、石巻にナーシングホーム「ケアリー」を建てようとしています。「ただ仕事をする」という先生の言葉が、じわじわと自分の中に染み込んできました。
建物を建てることは、命を守ることに直結する。耐震補強も、防災の備えも、避難の計画も。当たり前のことを、丁寧に、ちゃんとやり続けること。それが「死ぬまで生きられる」場所をつくるということなのだな、と改めて感じています。
ケアリーも、世界一を目指したい。世界一、その人らしく生きられる場所。世界一、安心して最期を迎えられる場所。大きな言葉かもしれないけれど、先生のお話を聞いて、その想いがまた深まりました。
07|「死ぬまで生きる」⸺先生の言葉と、私の言葉
実は、「死ぬまで生きる」という言葉は、私もずっと大切にしてきた言葉なんです。
先生がおっしゃっていた意味は、亡くならなくてもよい命が、災害によって失われてしまうことへの悔しさ。準備さえできていれば助かった命を、無駄にしてはいけない⸺そういう意味だと感じました。
でも、私が使ってきた「死ぬまで生きる」は、少し違う意味を持っています。
ただ生き延びるだけじゃなく、自分らしく生きること。 寝たきりになっても、下の世話をされながらでも、ただ命だけをつないでいるのではなく⸺笑って、食べて、誰かと話して、好きなことを感じながら、その人らしく生きること。 そして最期まで、自分らしくあること。自分らしく死ぬこと。
それが、私の思う「死ぬまで生きる」です。
ケアリーで目指したいのは、まさにそういう場所。大切な人を預かる場所として、「ただ生かす」のではなく、「その人らしく生きていただく」ことを、一番に大切にしたいと思っています。
先生と私、使っていた言葉は同じでも、そこに込めた思いは少し違っていた。でもきっと、根っこにあるものは同じなのかもしれません。命を、大切にしたい。ただそれだけのことを、それぞれの場所で、それぞれのやり方で、続けていく。
「死ぬまで生きて欲しい」
先生のその言葉は、大げさでもなく、熱くもありませんでした。でも、ずっと私の中に残っています。
目の前の人のために、自分の役割を果たし続けること。それが医療者の仕事で、ケアに携わる者みんなの仕事なのだと⸺石巻の空の下で、改めてそう感じました。
そしてこれからも、ケアリーでその想いを形にしていきたいと思っています。

